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夢のあとさき

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「あのう…、その…」
「…なあに?」
「あの、そっち向いてて貰えるかな…?」
「…どうして?」
 そう言ってやわらかく微笑んだ千歌音に、姫子は言葉をなくして俯いた。
「だって、姫宮さんがじっと見てるから…」
「だから?」
「だって、恥ずかしいし…」
「だから、どうして?」
「だ、だって、わたし裸だから」
「わたしもじゃない」
「で、でも…」
「それに、もうそんなこと気にする間柄でもないでしょ?」
「そ、それは…」
「…分かったわ」千歌音は大仰にため息をついた。
 続いて、少しひとの悪い笑みを浮かべる。
「じゃあ、わたしのこと千歌音って呼んでくれたら、そっちを見ないから。早くお風呂につからないと風邪を引くわよ、姫子」
「うー」
「うー、じゃないでしょ?ほら」
「…ち、千歌音…ちゃん」
「はい、よく出来ました」
 千歌音は嬉しそうに笑うと、約束通り姫子から視線を外した。その横顔がきれいで、今度は姫子の方が見とれそうになる。
 長い睫毛、整った顔立ち、伏せられていて今は見えない瞳の美しさは、姫子の脳裏にはっきりと焼きついている。
 何度見ても見飽きない美貌だった。
 ながく千歌音の横顔を堪能していられなかったのは、さすがに身体が冷えてきてお湯につかりたくなったからだ。
 千歌音の部屋のバスタブは、姫子の部屋のものとは違って、ふたりで入っても十分な広さだった。
 それでも、千歌音の両手に促されるまま、彼女に背中を預ける形で肩まで湯につかると、押し出された湯がバスタブを溢れる。流れ出ながら湯気をたてるそれを目で追っていると、アップにした首筋に馴染んだ千歌音の唇の感覚があった。
「あっ…」
 思わず声を上げると、千歌音が艶を含んだ忍び笑いをもらした。
「ひ、姫宮さん…」
「千歌音、でしょ?」
 姫子の髪を包んだタオルを解きながら、千歌音は口付けを繰り返す。
「ち、千歌音ちゃん…」
「…なあに?」
「あの、その、こ、こんなところでだと…、のぼせちゃうよ」
「ふふふ。そうね。けど、じゃあ、こういうことするのがイヤなわけじゃないんだ」
「そ、それは…」
 自分でも、一気に顔が紅潮したのが分かった。例え湯につかっていても、おそらくは背後の千歌音にもそれは感じ取れただろう。千歌音はときどき、こういう少しばかり意地の悪いもの言いをすることがあった。
「あっ」
 なんと応えたものかと思案していた姫子は、千歌音の悪戯な指先が自分の胸の頂に伸ばされていたことにまったく気がつかなかった。思わず、身体を捻って千歌音と対面する姿勢になった。
「姫宮さん」
「ち・か・ね、でしょ?」
「千歌音ちゃん…。わたし、あの、ほんとに…」
 あたふたする姫子に、千歌音の美しい顔が近づく。反射的に目を閉じた姫子の唇にキスをひとつ落として、千歌音が耳元で囁いた。
「じゃあ、ベッドへ行きましょ」
 姫宮千歌音とスクランブル交差点の真ん中で出会ったとき、来栖川姫子はまさに運命だと思った。
 生来ドン臭くてなんの取り得もない姫子だったが、二十歳になる今までに幾度か告白されたことはあった。だが、そのいずれも断り、親友のマコちゃんにもずいぶん呆れられたものだけれど。
 けれど、姫子にはずっとずっと昔から、たがえてはならない約束がある気がしてならなかったのだ。
 それは、誰かを待つというもの…。それが誰かは分からなかったけれど、出会えば必ず理解できると、それだけは妙な自信があった。
 姫宮千歌音とスクランブル交差点の真ん中で出会ったとき、来栖川姫子はまさに運命だと思った。意味も分からず流れ出る涙は、それがまさに久遠の約束の相手、貝合わせのいま一方の貝を持つ運命の出会いだと姫子に知らせたのだ。
 千歌音とこういう関係になるまでに、出会ってからそう間はなかった。同性同士だというのに、初めてキスしたときも初めて同じベッドで眠ったときも不快だと感じもしなかった。ただ、千歌音が愛おしかった。
 ただひとつの気がかりは、そんな感情が千歌音の社会的立場を悪くしているのではないかということだ。彼女は良家のお嬢さまであったし、こういった関係が世間に知れ渡ると、自分よりはるかに不利益を被ることになるだろう。
「…ね、千歌音ちゃん」
「なあに、姫子?」
 ふたりしてぼんやりと寝室の天井を見上げながら、姫子はふと何度か見た夢を思い出した。
「わたしね、夢を見た事があるの。そこではね、わたしも千歌音ちゃんも同じ田舎の高校生でね。それに千歌音ちゃんは今と同じ、大きなお屋敷のお嬢さまで、宮様って呼ばれてて、みんなの憧れの的なの。わたしたちはみんなに隠れて、薔薇の園っていう花壇でお昼を食べたりしてた。放課後、千歌音ちゃんのテニスの練習を見に行ったり…、楽しかったなあ」
 うっとりと呟いた姫子は、それから少し身体を震わせて、いくぶん沈んだ声で先を続けた。
「けど、途中で変なロボットみたいのが出てきてね。寮も壊されて村もずいぶん壊された。わたしは千歌音ちゃんの家に居候させてもらったんだけど…」
 姫子の声に力がなくなったのを気遣ったのか、千歌音が姫子を抱き寄せた。
「それで?わたしの家はどんなところだったの?」
「うん…。そこには音羽さんていうメイドさんがいてね。彼女の作る料理はすっごく美味しいんだけど、なぜか椎茸がよく出てくるの」
「姫子は夢の中でも椎茸が嫌いなの?」
「うん…」姫子は気まずげにもじもじした。
「それからね…、それから…、なんだかいっぱいロボットが出てきたり…、格好いい男の子がわたしを守ってくれたりするんだけど…。どうしてだか、途中でわたし、その男の子の家の神社に引っ越すのね」
 痛みに耐えるように、姫子は顔を歪めた。
「それからがあんまり思い出せないの…。どうしてかな…?」
「姫子…」
 千歌音の、姫子を抱き寄せる力が強くなった。そのまま肘で身体を支えて覆いかぶさった千歌音に、深く口付けされた。
 銀糸を引いて千歌音の唇が離れると、姫子は吐息をついた。いつの間にか息が上がっていた。
「それは夢でしょ」優しく千歌音が言った。
「わたしはここにいるし、ロボットなんて見た事もない。ほら、もう、お休みなさい。あなたが変な夢を見ないように、こうして抱き締めていてあげるから」
「…うん、千歌音ちゃん。…おやすみなさい」
 千歌音の腕の中で、姫子は安心感に包まれて目を閉じた。
「安心しておやすみなさい、姫子。…今度こそ、あなたに寂しい想いはさせないから…」


<2023/08/13 17:21 遊び人>消しゴム
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