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想いのハザマで
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タイミングが大切だった。
見誤れば、わたしたちは使命を果たせず、わたしは彼女を傷つけるだけに終わる。
そんなことは許せなかった。
及び腰で、おそらく真剣ですらない彼女の剣戟は遊びにすらならなかった。
わたしは幼い頃から武道を嗜んでいる。今まで続けているのは弓道だけだが、形だけとはいえ剣も握ったことがあったから、泣きながらわたしに剣を振るって来る姫子の太刀筋では、一撃でわたしに致命傷を負わせられないことくらい分かっていた。
一息でなければならない。
そうでなければ、姫子はわたしにとどめをさすことを躊躇ってしまうだろう。
タイミングだ。
永遠に続く輪廻の輪の中で、わたしはいくつもの人生を経験した。神を呪ったこともあったが、ある時、その呪いゆえに姫子と引き離されなくてすむのだと気付いた。
いくつかの運命の中でも、腕の中で失われていく前世の姫子の身体の熱を一番はっきりと思いだせる。
わたしにとってそれは、まさに太陽を無くした瞬間だった。
どうしてわたしでなく、彼女が犠牲にならなければならなかったのか。
それを問うても仕方なかった。
太陽が昇れば月が見えなくなると同じこと。自然界はときに残酷だが、それを変えるすべを人間は持たないのだ。
巫女のどちらかが命を落とさねばならないのであれば、それは常にわたしであって欲しかった。
けれど、それはおそらくわたしの我侭なのだ。いまこうして、太陽の巫女の剣でこの命を召されることと同じく。
前世で姫子の命を奪ったわたしは、今生でも彼女を殺すべきなのだろう。そうして、わたしにとって唯一無二の存在がいなくなった世界で、喪失感を胸に抱いて生きることこそ、前世といわず幾千回の輪廻の中で、太陽を殺し続けてきたわたしに与えられた罰なのだ。
…だが。
どうしてもわたしには耐えられなかった。
あの日、黒い柴犬を抱いて笑っていた姫子をこの手にかけることが。
今生では姫子の周囲にもひとがいる。彼女を心から愛する男が。
わたしの存在がなくなっても、姫子の心は大神ソウマが埋めてくれるだろう、と無理やり自分を納得させてわたしはオロチについた。
太陽の巫女の剣がわたしの肩口を掠めた。
それでは駄目。せめて首を狙いなさい、姫子。
軽くはらうと、彼女はよろけて尻餅をついた。
…こんなに弱いなんて。
ごめんね、姫子。本当なら、あなたにこんな真似はさせたくなかった。
どちらかの命が供物に必要であるだけなら、わたしは自ら首を刎ねていただろう。けれど、残酷な神々はわたしたち巫女を弄ぶ。互いに命を奪い合う、その遊戯のはてにのみ再生を与えるのだ。
それでも蹌踉と立ち上がり、姫子は剣を向けてくる。
わたしにとっては、剣より彼女の涙の方が脅威だった。
いまにも剣を放り出して、姫子を抱き締めてあげたい誘惑にかられる。
そんなことにならないように、屋敷であれほど彼女を傷つけたのに。
わたしに組み敷かれ、犯されながら泣いていたあの顔を思い出すたび、わたしの心は申し訳のなさとある種の喜びに満ちるというのに。だというのに、姫子はすでにわたしを許してしまっているのだろうか?
これ以上、わたしに彼女を傷つけさせたいのだろうか?
太陽の包容力は、いまのわたしには残酷なほどだった。
傷つけたくないという想いと、すべてを引き裂いてやりたいという気持ち。
二律背反した思いに吐き気がする。
それは、姫子がわたしを殺した後、すべてを忘れて幸せになって欲しいという気持ちと、忘れて欲しくないという想いとによく似ていた。
どちらもわたしの本心。
眼前の姫子はなおも泣きながら、必死でわたしに何かを問いかけてくる。
弱々しい動き。
頬を流れ落ちる涙。
震える唇。
駄目よ、姫子。
わたしはもう聞かない。
そう。わたしはあのときに決めたの。
だから何を言っても駄目。
わたしの本心を、と望む姫子に、わたしは睥睨するように大きく見える明るい地球を向いた。
月から見下ろす地球は、地球から見上げる月の何倍も明るかった。
あの星があんなに輝いているのは、太陽があるから。太陽だけがかの星に命を芽吹かせることが出来るのだ。
彼女にこれ以上の絶望を与えたくはない。…けれど、彼女がそれを望むのであれば。
わたしは空から弓を取り出し、無造作に矢をつがえた。
射ればオロチの怨念があの星を滅ぼす。そして、それは太陽の巫女に絶望と選択を迫り、新たな再生を呼ぶだろう。
放たれた矢は光となって、過たず星に吸い込まれ、地球を一瞬にして紅く染めた。
呆然としていた姫子が、わたしにのろのろと視線を向けた。射るような眼差しだった。
屋敷でわたしに犯されたときも、そんな目でわたしを見たことはなかったというのに。
突然、姫子の剣に力がこもった。収斂された力は、わたしの剣すら跳ね返すほどだった。
それとも、これがわたしに向けられた憎しみの強さなのだろうか?
そうであればいいと思った。
そうであればいいと願った。
わたしはその為に、眼前の少女を汚し、その心を踏みにじったのだから。
姫子の剣戟をかわして剣を振るうと、わたしの剣が彼女の胸のペンダントを引っ掛けた。
二枚貝のペンダント。対なるもののあかし。
わたしが求め続けた貝合わせの相手は、目前にいるというのに。それは姫子の胸のペンダントと同じく、すでに一枚は失われているのだ。
姫子の胸元から千切れ飛んだそれを視線で追う。
それはまるで姫子そのもの。
わたしの手にはけして手に入らないのだ。
それでもわたしは手を伸ばして、それを捕まえようと試みた。
…試みずにはいられなかった。
そのとき、陽の巫女の剣が月の巫女を貫いた。
<2023/08/13 17:20 遊び人>
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